”才能”について

みんごるにおける才能について考えてみる。
結論から言うと、好きこそ物の上手なれってことかなぁと。その代償として、ほかの何かを犠牲にしているかもしれないが。

才能の意味(国語辞書から)

物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。
よく「天賦の才能」って聞くけど、天から与えられたものであって、自己から捻出するものではないのかなぁ・・・

みんごるにおける才能とは?

「JI率高いね」「パワー調整うまいね」「パットうまいね」「風読みがうまいね」「うさかめ上手だね」「エアーうまいね」などなど普通に考えられる。
でも、JI率高い人が、みんごる上手いとは言い切れないと思う。むしろ、JI率が高くなくても、みんごる上手い人だっていると思う。
そういう人はもしかしたら、「勝負強さ」とか特化しているのかもしれない。もしくは、「観察力や自己制御に長けている人」。

才能をちょっと数値化してみると・・・

仮に、才能のMAXを100とすると、例えば・・・

  • JI率40、パワー調整40、勝負強さ20の人は、
  • JI率20、パワー調整20、勝負強さ60の人に負けるかもしれない。
  • JI率10、パワー調整10、勝負強さ80の人にさえ負けるかもしれない。

社会でも、実力がある人よりも、自分をパフォーマンスするのが得意な人が出世する場合も少なくない。

じゃ、みんごるで有利な才能とは?

経験から察するに「努力する才能」だと思いたい。

努力するって案外単純かもしれないけど、誰でも出来るとは限らないと思う。人はどうしても出来ないことはあると思うし。数字の0に何をかけても0なように・・・
でも、出来ない人が「出来ない」と言うのは「諦め」じゃなく、「出来ないと理解した」んだと思いたい。理解できる才能だね。
出来ないことを出来ないと認識することは悪いことじゃないし、「努力すれば出来る」と幻想を抱くよりもずっと健全だと思う。
そう、「理解する」ことは建設的な考えだよね。「ほかのゲーム頑張ろう」とか、「とにかくみんごるを楽しもう」とか転化できるしねb

まぁ、努力できない人に対しての救済のつもりだけど、逆にいえば、努力ができない人は成績に直結する面のみに特化すると致命的だと思う^^;

じゃ、みんごるで努力する才能とは?

また考えよう*1

*1:いつまた続きを書けるか分からないケド・・・備忘録として・・・